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コンパクトシティ

先日、とある大学の先生の講演を聞く機会があった。
これまでシンクタンクで環境省の政策作りにもかかわってきた経歴があるそうで、
「気候変動への適応と緩和」云々に関わる講演・・

その中で、「コンパクトシティ」についても言及されていて、「富山市」がいい例だとおっしゃる。富山出身の私は「コンパクトシティ」と騒いでいるのは外部の一部の方(と市長さんや市役所の方々)だけで、一般富山市民は全国の他の地方都市と同じく中心市街地のサビれ具合を嘆いていること、そして郊外の幹線道路ははいつも渋滞していることを知っている。

※ちなみに「コンパクトシティ」とは、ウィキペディアの解説を借りると『都市的土地利用の郊外への拡大を抑制すると同時に中心市街地の活性化が図られた、生活に必要な諸機能が近接した効率的で持続可能な都市、もしくはそれを目指した都市政策のこと』だそうな。

「コンパクトシティ」というと響きはいいが、実際には田舎であればあるほど、「みんな街中に集まって住みましょう」というのは無茶なアイディアだと思う。田舎の人は土地に愛着があったり、土地を受け継いだ結果、田舎にいることが多い。田があり、畑があり、山がある。それを捨ててマンションに移住なんて・・・?しかし先生はそれが行政コストの圧縮にもつながる、と、いいことのようにおっしゃる。(この先生が例外なのではなく、数年前からの流行りのようで・・)。

しかし、地域に「ガンバレガンバレ、地方創生だ!特色ある地域づくりを!」なんてけしかけておいて、結局「でもコンパクトに街中に住んでね!」だと、地方の特色も何もあったもんではなくて、いづれ「住んでいる人が少ない郊外に行政コストはかけられません」、となって、田舎に住んでる人は不便を強いられ・・・?

それって体のいい切捨て政策ではないかな~と田舎在住の一人としては思う。

農作物は植物工場でつくり、あるいは人件費の安い海外から輸入し、人は駅前のマンションに住み、満員電車で通勤し、全ての用事は街中で済ませる。畜産は大規模集約で、検疫バッチリ、外部から人が入れない狭いゲージで輸入飼料と抗生物質で育てて、病気が出ようものなら何万、何十万の殺処分。それが持続可能な都市や国の理想の姿・・・ではない気がするんだけど。(←コンパクトシティについて考えていてこんなイメージが膨らんじゃっただけで、先生がおっしゃったわけではありません。念のため。)農業のスタイルについては色々とあるだろうけれど、大陸型の大規模農業は日本の国土ではほぼ実現不可能なのだから、むしろ田舎の農地のそばで半自給自足の生活を送るのは結構「持続可能」な感じがするのだけど。

コンパクトシティもヨーロッパの町は教会を中心に街を作ってきた伝統があるし、町と農村の機能を分化させてきたところもあるから成立しやすい。地域の暖房をセントラルヒーティングによる熱供給でおこなっているところであればすでに街づくりの構想からして「コンパクトシティ」の下地になっている。日本で急に「地域熱供給」だの、「コンパクトシティ」だの言ってもなかなか難しいんじゃないかなぁ。

件の先生は、このたび岡山に引っ越しされたそうである。きっと岡山と言っても中心地にお住まいになられるのだろうけれど、東京にいるよりは田舎が近いだろうから、地域の現実を見て、地域からの情報発信をしてくださるといいなぁと、消滅可能性都市に住まう一人として思う。

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