コンテンツへスキップ

コロナウイルスの大流行でニュースもコロナ関連のものばかりです。
2月頃から予定していた予定や出張が中止になったり、延期になったりしています。確かに新幹線もガラガラで、打ち合わせや会議でもマスク率が非常に高く、「ああ、世の中コロナで大変なのだった」と思う瞬間があります。

一方で、住んでいるところが田舎で、もともと飲食店も人通りも稀なところ、通勤は主に自転車(5分)という日常生活は淡々として代り映えもなく、コロナ禍を実感することはあまりありません。子供が急に長い休みになってしまったことは大打撃でしたし(学校と給食のありがたさよ・・)、たまに行く隣町のドラッグストアやスーパーまで急にマスクとトイレットペーパーがなくなったりしているのは、純粋に驚きましたが・・

衣・食・住など生活の根本を支える活動以外の「不要不急」がいかに多いのか、そして日々の生活とそれら「不要不急」と分類される経済活動がどれだけ複雑に絡み合っているのか、ということが少し実感できます。

この絡み合いは、温暖化対策でも難しいところなのでしょう。コロナウイルスが中国で流行した前後で、中国の大気汚染が劇的に緩和したそうです。
https://mainichi.jp/articles/20200303/k00/00m/040/138000c
一説によると、この大気汚染の改善で『 5万~7万5000人が早死にリスクから救われた可能性がある 』そうです・・
https://www.cnn.co.jp/world/35150996.html

コロナウイルスはリスクが目前にあり、罹患者数や死者数が日々増えていることが不安を増幅させ、政治家や行政機関も対応を誤ると即「責任」につながることから有効性のある対策を模索しているように見えます。一方で、温暖化はどうなのでしょう?ウイルス同様に目に見えず、誰に影響が及ぶかは分からず、そしてもしかするとその影響は一過性のウイルスよりも大きいかもしれないのですが・・
後戻りができなくなるような転換点(tipping point)まで、あとどのくらい?と言われてもコトが大きすぎて自分と関りがあるように感じないのでしょうか?それとも、行政やマスコミが大きな問題として取り上げず、実効性のある対策を真剣に検討していないから、行動につながらないのでしょうか?

コロナ禍で可視化できるものが色々とあると思います。資本主義の限界もその一つかもしれません。災いには違いなく、沈静化を願うばかりですが、この災禍から何を得るのか、で、大げさなようですが今後の世界のあり方が左右されるのかもしれないとも思います。

先日、とある大学の先生の講演を聞く機会があった。
これまでシンクタンクで環境省の政策作りにもかかわってきた経歴があるそうで、
「気候変動への適応と緩和」云々に関わる講演・・

その中で、「コンパクトシティ」についても言及されていて、「富山市」がいい例だとおっしゃる。富山出身の私は「コンパクトシティ」と騒いでいるのは外部の一部の方(と市長さんや市役所の方々)だけで、一般富山市民は全国の他の地方都市と同じく中心市街地のサビれ具合を嘆いていること、そして郊外の幹線道路ははいつも渋滞していることを知っている。 ... "コンパクトシティ" を続けて読む

住んでいる地区のごみ捨てルールは結構厳しい。
プラ、ビン、缶、など時々しか集めないものは、カレンダーによる指定日(火曜日)の前々日(つまり日曜日)に集める。それも指定時間は1時間だけ。「衛生委員」に任命された数名が、間違った出し方をしていないか、チェックのために立ち会っている・・
日曜日の夕方に出かけてたら1カ月分の缶やビンが捨てられないなんて!と最初は戸惑って、正直「田舎の行政はサービス悪い!」なんて感想を抱いたのを覚えている。 ... "ゴミ捨て" を続けて読む